【カンボジアで働く日本人へインタビュー】『自分が納得できる仕事をする生き方』ー小柳知里さん
カンボジアで働く日本人に迫る第2弾!
登場してくれるのは弊社のキャリアコンサルタント、小柳 知里(おやなぎちさと)さんです。
小柳さんは、大学を卒業後、都内の大学病院で看護師として勤務。その後アイルランドへの留学、日本での再就職、オーストラリアでのワーホリ等様々な経験をし、カンボジアへ!
そんな経験を経て、人とはちょっと違うキャリアを歩んできた小柳さんに迫るロングインタビューです。
カンボジアでのPKOに憧れ、国際貢献を志した幼少期
Q:看護師さんとして働かれていたというと、驚かれる方も多いんじゃないですか?
そうですね。大学を卒業してから、都内の大学病院で三年間働いていました。そもそも看護師になろうと思った理由は、カンボジアに来たいと思ったからなんですよ。小学生くらいの時に、国連平和維持活動(PKO)のカンボジア・タケオ州での活動のニュースを見ていて、漠然とカンボジアに行きたいな、私もなにかできるのではないかという気持ちがあったんですね。進路を考え始めた時も、その思いが軸となり、自分に何かしらのスキルがあったほうがいいかなと思い、看護師になることを決めました。大学ではカンボジアでボランティアをおこなうサークルに入り、カンボジアに来ていました。その頃はもう、ゆくゆくは看護師として再びカンボジアを訪れたいと思っていましたね。
(「学生時代はカンボジア・バッタンバン州を訪れていました」)
異文化との出会い、自分の中での心境の変化
JICAに入ろうと思っていたので、語学力の向上、そして違う世界にも行ってみたいという気持ちもあり、一度看護師を辞め、アイルランドへの留学を決意しました。アイルランドでの生活は、一言で言うと、とても楽しかった。看護の大学出身であるため、友人にも看護師が多いんですね。だから、アイルランドで暮らしていて国籍はもちろん、職業や年齢が異なる様々な人たちに出会い、初めて異文化に触れたと言ってもよいかもしれません。「キャリアチェンジ」という点に関しても、日本よりずっと積極的で、30代、40代になって挑戦している人々もたくさんいたんです。そういうのを見ていると、自分の今までの人生を振り返ったときに、国際協力をしたい、カンボジアに行きたいというところからスタートして看護師として働いていたものの、逆に看護師という職業に縛られていたのかもしれないとも思い、もう少し大きな視点で考えたいと思うようになりました。
Q:留学生活を終え、看護師としてではなく、営業のお仕事を選んだのも、そういった気持ちが強かったからなんでしょうか。
そうですね。自分ができる仕事は何だろうと考えた時に、社会人経験を経ての留学という自分の経験が生かせたらいいなという気持ちがありました。それと同時に、今までカンボジアやアイルランドといった、外へ外へと向いていた自分の視点が、内にも向き始めました。
留学生活の中で仲間とディベートをしていたとき、日本での当たり前を言うと、海外の友人がよく「Amazing!」と言ってくれたんです。日本人であることを改めて感じ、日本人が日本という国について発信するということも、「国際協力」ではないけれど、国際貢献とか様々な意味で重要だと思ったんです。だからこそ、日本国内で、海外に行って挑戦したい!と思っている人を応援するような仕事をしたいと思って、留学エージェントの仕事に就きました。
新たな環境で再確認した、自分の軸
Q:まったく違う業界での挑戦で、どのようなことが求められましたか?
看護師として多くの方々と接してきたこと、そして自分自身も社会人になってから留学したこと、そういう経験が生きていたと思います。営業の成績も上げ、新規事業も任せてもらえました。そこで留学に行って語学だけを学ぶのではなく、社会で働くために必要なスキルを身に着ける必要があると漠然と思っていた時に、社長に「アジアでのインターンシップ事業やって」と(笑)。その後は新規事業のプロジェクトリーダーとして、一から開拓しました。いろいろな会社にお話を伺うと、現地で働いている人たちの生の声を聞くことができて、アジアは面白いな~って。そのときに、自分のそもそもの軸は海外で、アジアで、カンボジアでなにかしたいという気持ちだったなってパッと思い出してしまったんですね(笑)自分もアジアでチャレンジしたいって思ったんです。
現実的に考え、アジア就職で困らないように、生きていくためには資金が必要だと思い、ワーキングホリデーの制度を使ってオーストラリアで1年半ほど働きました。そこでも本当に様々な仕事をしましたね。農場の仕事、居住者がやりたがらないような仕事とか、日本ではなかなかできないような仕事、自分の看護のスキルを生かした仕事もできました。そして貯金も目標金額に達し、区切りがついて、ようやくカンボジアに行く準備ができました。
満を持してカンボジアへ
Q:カンボジアではどういう仕事をしたいと思っていたのですか?
日本での営業時代に、人材会社とやり取りをしてすごく興味を持ちました。また、人と人とをつなげる仕事がしたいとも思っていました。そんなときに鳴海社長の記事をたまたま目にしたんです。共感してしまいました。(こちらからどうぞ)
私が大学時代にボランティアをしていた孤児院で、すごく優秀な子がいました。奨学金での大学進学が決まった矢先に、その子の両親が新しくお店を開くから、育てられないとした自分の子を引き取りにきたんです。その子がどうなったかはわからないけれど、カンボジアにも雇用のプラットフォームがあり環境さえ整えば、誰にでもチャンスが与えられる。カンボジアのためにもなるし、自分がやりたかったこともできる。「これだ!」って。そして、社長はここに骨を埋めるつもりで来たと言っていて、そういう思いを持った人の元で働きたいと思ったんです。社長はここまでの思いを知らないかもしれません(笑)
雇用のプラットフォーム作りを見据えて
Q:お仕事に関して、簡単にご説明していただけますか?
今の仕事は、カンボジアでの就職を考える求職者さんにお仕事を紹介すること、そして企業様から求人をいただき、雇用に対応することですね。今までの経験を生かすことができていると感じられることももちろんありますが、同じくらい難しさも感じています。こちらで就職したいという熱意があるだけではもちろんうまくいきません。就職をする場所も同じくらい開拓していかないと、その人にとってよい就職先というのは見つからないかもしれないんです。就職の中から海外就職、海外就職の中からアジア、アジアの中からカンボジアを選んで就職したいという人たちに対して一歩先を見据えて対応していかなくてはならないと思っています。そういう雇用のプラットフォームと呼べるような仕組みを作ったうえで、自分がいかにプロフェッショナルになれるかが、今後の課題だと思っています。
見えてきた仕事観
求職者さんとお話をしていて、私自身も気づかされたことがあるんです。それは、自分が納得できる仕事をするという言葉でした。その通りだなって思いました。私はどこで何をするっていうよりも、自分が納得できる仕事を今後も続けていきたいと思っています。
Q:転職を考えている人たちになにか伝えたいことはありますか?
とりあえず挑戦してみたほうがいいと思います。私は30歳で転職したのですが、若いというのは武器だなと思うときもあるんです。年齢がすべてではないけれど、動けるうちに動いた方がいいと思いませんか?挫折も早いほうがいいと思います。私はあまり周りの意見とかも気にならないんです。カンボジアに行きたいっていうのも、幼少期から言い続けていたことだったから、周りもそうなのね、やっぱりねって応援してくれました。だから、言い続ける、宣言し続けることは大事なんじゃないかなって思います。一度自分が信じたことならば。
(プノンペンタワー内レストランD22 にて)
自身の人生を振り返りながらインタビューに答えてくれた小柳さん。
時に、この芯の強さが邪魔をすることもあると笑いながらも、数々の挑戦や経験を経てきた小柳さんの言葉には強い意志が感じられるものでした。
カンボジアで働く日本人へのインタビュー、次回もお楽しみに!
より詳しい情報を入力して転職支援サービスに申し込む
この記事が気に入ったら
いいね!
最新情報をお届けします
関連記事
おすすめ求人
効率的に多くの転職情報が入手できる!
求人数の豊富さに自信があり、非公開求人もあります。私たちが企業との連絡を代行し、転職希望の方にスムーズな支援が可能です。CDLは、お客様の判断に役立つ生きた情報を提供する自信があります。
1分で簡単無料
転職支援サービスのお申し込み