ちょんまげ男が震災寄付のお礼でカンボジアに。私的な回想とともに【カンボジア生活】
先日、カンボジアの中心・プノンペンタワー最上階のD22で、
東日本大震災復興チャリティーイベントがありました。
前回からの続きです。
D22のレストランエリアで食事をした後、バーエリアに移って来た、私と妻。
妻 「まだかな?」
私 「そろそろじゃない?」
イベントの開催を待っていると、なんと、ちょんまげ姿の男性が現れました。
彼は千葉で靴屋を経営しているそうなですが、震災直後の物資寄付がきっかけで、
その後も継続的にボランティア活動をされています。
会場には外国人の方もいたので、英語で通訳しながらの進行です。
世界中から寄付金が集まるなかで、カンボジアからも沢山の寄付が集まったそうです。
支援してくれた方々に、感謝の気持ちを伝えるのも来カンの理由の一つとのことです。
このような活動は、台湾に次ぐ二カ国目だそうです。
妻 「写真撮っていいですか?」
ちょんまげの男性 「どうぞどうぞ~」
(妻が一緒にポーズ)
ちょっと回想にお付き合いください。
2011年3月11日、私は厚生労働省の職業安定局という部署で国会の調整担当をしていました。
突然の地震に国会も当然中断、私たちも日比谷公園まで非難しました。
その時から、緊急閣僚会議が一日に何度も開催され、その準備のための被害状況の把握や、
被災者支援が始まりましたので、私の残業時間は1ヶ月で240時間になりました。
正直、残業はまったく苦ではありませんでした。たぶん、他の職員も同じでした。
被災地に直接行けない悔しさはありましたが、それぞれの立場で支援しているのだという気持ちがありました。
もうちょっと回想にお付き合いください。
私が直接被災地に行けたのは、翌年5月です。
中国人の友人から、中国人仲間と復興支援のボランティア活動に行くと聞いたので、参加させてもらいました。
新宿出発の貸切バスに乗りこんだのは、中国人17名、日本人6名の総勢23名でした。
夜に出発し、高速道路でひたすら東北を目指します。
車中泊して、朝食はコンビニです。
ほかのボランティアグループも全国から集結し、センターには数百人が集まっていました。
作業開始にあたり、朝の代表挨拶を、その中から立候補で一人だけ決めます。
私たちのグループにいた、一人の中国人青年が立候補して挨拶をしました。
中国人青年 「四川省での大地震で日本から支援を受けました。お礼をしたくて今日は来ました。」
作業は、海からかなり離れた七ヶ浜の田んぼの瓦礫撤去です。
こんなところまで、津波が押し寄せたのかと思うと、
自然の怖さを感じざるを得ません。
テレビで見た光景とは違う世界がありました。
写真やぬいぐるみ、ネクタイやハイリールなどがありました。
瓦礫であって、瓦礫じゃない。
被災者の遺留品であり、かつての財産なのです。
「これは被災者にやらせては駄目だ。私たちだからできる作業だ」と、先ほどの中国人青年が言いました。
この中国人青年は、後に私たちCDLに入社し、中華系マーケットの開拓に尽力してくれました。
その後に独立し、現在はカンボジアで中国人向けフリーペーパーの会社を起業しています。
今回のカンボジアのチャリティーイベントもそうですが、世界に必要なのは感謝の連鎖です。
CDL代表
北海道札幌市生まれ。22年間、厚生労働省などで勤務。2012年、カンボジア人青年との偶然の出会いから、能力・スキルに見合った仕事につけない人がいることを知り、カンボジア人に職業を紹介するビジネスを決意。
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