20年以上前に来た日本人女性。妻が日本語を話せるようになったきっかけとは・続編【カンボジア生活】
さかのぼること約2年前。まずはこちらの前編からお読みください!
目 次
建設省のチア・ソパーラー大臣に会いに行きました
内緒にしてましたが、実は妻の親戚筋です。そんなことを自慢したり、ビジネスで利用したりしないのが妻の奥ゆかしいところなのですが、そんな妻は大臣のお父さんの名前が付いた少学校の生徒でした。
(2015年撮影。妻の田舎に遊びに行った時の写真。学校の名前はチア・チャック。チア大臣のお父さんの名前です)
妻の故郷はコンポンチャム州のさらに片田舎
今でこそプノンペンから車で片道5時間ですが、当時は川を舟で渡り丸1日はかかる場所にある村です。20年前、そんな僻地に一人の日本人女性が川を渡り、文房具を寄付しにやってきました。
(2015年撮影)
日本語で感謝の気持ちを伝えられなかった
村に初めて来た日本人をひと目見ようと大勢の村人が校庭に集まるなか記念式典が執り行われました。妻は「ありがとう」と日本語で感謝の気持ちを伝えることができなかった悔しさから、日本語を話せるよう勉強しようと決意したのです。妻は日本人の名前を忘れてしまい、その方が今どうしているのかは、わかりません。
(2015年撮影)
その後の妻
妻は中学校の途中から家族でプノンペンに引越し、日本語学校で勉強し続けました。そして、遂に日本語学校の先生にまでなり、今ではカンボジアの屈指の民放のアナウンサーとして、またCDLのGMとして活躍しています。20年以上前に寄付をしてくれた日本人が、この事実を知ったらどう思うでしょうか。よもや、自分と一緒に記念式典に同席したカンボジアの少女が、今のようになるとは夢にも思わないと思います。
大臣が教えてくれた日本人の所在
先週末、その話を大臣に伝えると、急遽お会いすることになりました。大臣は、その日本人女性の名前が「小山内美江子」さんであると教えてくれました。当時は、大臣はプノンペン市長でしたが、カンボジア支援に熱心な小山内さんと互いにできることを協力し合いながら活動していたというのです。
ドラマのような展開
親戚筋である大臣とはメッセージや電話のやりとりはあるものの、直接お会いしたのは今回が初めて。しかし、このような感動的なサプライズに妻も驚き、そしてとても喜んでいます。大臣にとても感謝しています。いよいよ、これからは妻が小山内さんに直接日本語で感謝の言葉を伝えることになります。まさにドラマのような展開です。
CDL代表
北海道札幌市生まれ。22年間、厚生労働省などで勤務。2012年、カンボジア人青年との偶然の出会いから、能力・スキルに見合った仕事につけない人がいることを知り、カンボジア人に職業を紹介するビジネスを決意。
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