20年以上前に来た日本人女性。妻が日本語を話せるようになったきっかけとは・続続編【カンボジア生活】
本当に多くのカンボジアのメディアに取り上げられ、さらにチア副首相はじめ多くの方々がフェイスブックでシェアしたものですから、妻の泣き顔がカンボジア中でバズっています(苦笑)。
いったい何事かと言いますと、チア・ソパーラ副首相の計らいにより、妻が小山内美江子さん(脚本家としても著名)と感動の再会を20年以上ぶりに果たし、念願の夢だった日本語で「ありがとう」を直接伝えることができた、というわけです。
「ありがとう」を日本語で伝えることそのものが、カンボジア人である妻にとって、日本語を勉強するきっかけであり、また夢でもあったのですが、当時は妻も小学生だったので、小山内さんの名前も顔も覚えていない状況でした。
そして、再会は不可能だと諦めていた状況の中で、ここ1年で急展開していました。
と、かなり要約して説明してしまいましたが、関連する過去のブログ記事を順をたどってご紹介します。
(2015年撮影)
さかのぼること約3年前、妻が小学生の頃に通った田舎の校舎の記事を書きました。まずはこちらからお読みください!
妻の田舎であるコンポンチャム州に初めて私が訪れた時、プノンペンからかなり遠い場所だという印象でしたが、妻が小学生だった当時は橋も無く、ボートを使わないと辿り着けない僻地だったので、今とは比べ物にならないくらい、さらに遠い場所でした。
妻から聞かされた小学生時代のエピソードが印象的だったので、そのことを私のブログで書くと、この記事も掲載当時は反響があり、このエピソードに登場する日本人女性に関する色々な情報が寄せられたのですが、結局わからぬままでした。
(2015年撮影)
そして、この記事を書いた2年後、その女性の名前が遂にわかったのです。
妻の親戚がチア・ソパーラー副首相兼建設大臣だというカミングアウトの方が個人的には驚いたことは置いておきまして、このエピソードをチア副首相に伝えたところ、日本人女性の名前が「小山内美江子」さんであると副首相から告げられ、遂に探していた人の名前がわかり、妻は感激したわけです。詳細はこちらからお読みください!
(2017年撮影)
小山内さんは、ご高齢にもかかわらず、自ら立ち上げられたNPO団体の中心となって、今でも社会貢献活動を継続されていると聞かされ、カンボジアに来られる際にはお会いできるかもしれないと期待を寄せていました。
しかし、ご高齢であると同時に最近は病気も患っていることもあり、カンボジアへはいつ来られるかわからない状況だということで、そのまま進展が無いまま1年が経ちました。
またまたキーパーソンは建設省のチア・ソパーラー副首相
先日、チア副首相が大臣から副首相に昇任されたということで、妻と共にお祝いに伺おうと思っていた矢先、なんと逆に副首相の方から急に連絡が入りました。
あの「小山内美江子」さんが副首相に会いに来られるというのです。
妻が会いたがっていることを知る副首相から、「今から大臣室に来れば、小山内さんと再会できますよ」とのことでした。
取りも直さず、妻が建設省に向かったのは言うまでもありません。
そして、妻は、直接会って「ありがとう」と日本語で伝えるという念願の夢を叶え、感激のあまり泣いてしまったわけです。
この時の写真がカンボジアの複数のメディアが取り上げ、インターネットの力により拡散されたことにより、それまで小山内さんにお世話になったまま音信不通だったカンボジア人の方々にも知れ渡り、小山内さんが帰国する直前まで、カンボジア人の方々が面会するために宿泊先のホテルまで訪れたと聞きます。
小山内さんのカンボジアにおける社会活動は、ご自身が著名な方であるにもかかわらず、かえってそれを気にされてか、おおっぴらにされておりませんが、その事が支援者から信頼される理由にもなっていて、上戸彩さんや名取裕子さんなど挙げればキリがないほどの著名な方々から支援を受けておいでです。というか、その事自体もおおっぴらに公表されていません。
私はカンボジアで人材紹介業を営んでいるわけですが、私は私なりに事業を通じて社会問題の解決に一躍を担っている自負があるものの、だからと言って、それだけで十分だという気もせずに悶々と生活していました。
小山内さんが長年に渡り支援されている児童養護施設の運営も、資金的にギリギリだと言うことですが、このような取り組みは大部分を誰かの寄付によって現状を維持している状況です。
私は、小山内さんと出会い、ご高齢かつ体調も万全で無いにもかかわらずカンボジアまで来られ、支援の陣頭指揮をされているお姿を目の当たりにし、かつ直接お話をさせていただくなかで、小山内さんの社会活動に微力ながらご支援させて頂く決意をしました。
ワタシ的には、他人の国に来て生活させてもらっている外国人の身分でありながら、大した税金を払ってもいないのに、「そういうことは公的支援の範疇だ」とか何とか言いのけて、自分自身の不作為を正当化したりするカッコ悪い大人になりたくないわけです。
カンボジアで生かせてもらうための責任として、起業家として何ができるか。悶々としていた自分に対して答えが見えてきたような気がします。そして、小山内さんのような素晴らしい方が日本人の先輩にいることを誇り思うと同時に、生き様を少しでも見習いたいと思った次第です。
CDL代表
北海道札幌市生まれ。22年間、厚生労働省などで勤務。2012年、カンボジア人青年との偶然の出会いから、能力・スキルに見合った仕事につけない人がいることを知り、カンボジア人に職業を紹介するビジネスを決意。
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