【カンボジアライフ】カンボジアの偉大な建築家、ヴァン・モリヴァン氏の建築を訪ねる(Part2)
前回からの続きです。Part1はこちらをどうぞ。
前回からの続き、カンボジア・1960年代の建築様式、新クメール建築を巡るツアーについて。モリヴァン氏の代表作として最も有名な建築物の一つが、オリンピックスタジアムでしょう。
オリンピックスタジアム
1960年代、カンボジアの国家建設の黄金期、大規模な公共事業がすすめられていた時代に、オリンピックスタジアムの建設も計画されました。1963年の東南アジア競技大会の会場として計画されましたが、政治的な問題でオリンピックスタジアムで開催されることはなく、結局幻の大会となりました。この建築においても、モリヴァン氏はクメールの伝統と近代の技術を融合させた建築を目指したそうです。
水、光、風
建物に降った雨水は柱をつたって、建物の足元に張り巡らされている水盤へと流れ込むようになっています。
スタジアム内に一歩足を踏み入れると、何よりもその自然光の多さにはっとさせられるでしょう。一見冷たく無機質に見えるコンクリート建築ですが、光や風を感じる造りとなっています。
こちらは、バスケットボールやフットサルなどの室内競技、またはコンサートなども行なわれることがあるという屋内施設ですが、こちらも自然光の取入れ、さらには客席の足元が風の通り道となっていることにも注目したいですね。
水や光、風、、、。巨大なコンクリートの建築物であっても、そういった自然を最大限に意識し、建築物を作り上げたのでした。
最後に、現在は最大で8万人を収容することが可能となっている、屋外競技場。
朝夕の涼しい時間になると、付近に住む人々が運動をしていますし、大きなサッカーの試合になるとこの客席はすべて埋まってしまいます。建設から50年余り、カンボジア国家の威信をかけた建設は、今も人々に愛されています。
1960年代に目指していたのは…?
当時、この辺りは湿地帯であったため、オリンピックスタジアムの周りをアンコールワットに見られるようなお堀で周りを囲もうとしたのだといいます。また、1960年代当時にモリヴァン氏が目指していたのは、単なる競技施設ではなく、選手村などを含む複合施設だったというから驚きです。1960年代といえば、日本では東京オリンピックに向けて、国立代々木競技場が建設されていた時代でした。ここカンボジアでも、同じような開発が進められていたのですね。
今回モリヴァン氏の建築を訪ねるツアーを回り、筆者が感じたのは、ヴァン・モリヴァン氏の建築物の価値や重要性が風化しつつあるのではないかということでした。首都プノンペンは建設ラッシュで、高層ビルの建築はひっきりになしに行なわれています。モリヴァン氏が目指していたのは、近代化でありながら、カンボジアの人たちが古くからともにあった自然や伝統を最大限に生かし、自らのアイデンティティを尊重する建築でした。しかし、2008年には、モリヴァン氏の建築した旧閣僚評議会は取り壊されていますし、前記事で紹介したように、保全・維持のためにメンテナンスがされることもない建物があることも事実です。
ツアーの詳細
今回筆者が参加したツアーは、Khmer Architecures Tours。3人で参加したのですが、ガイド料金、トゥクトゥク代込みで、一人20ドルでした。
時間は、朝8:30分から、お昼12:00まで。ツアーに申し込むには、KA ToursのHPの【How To Book】予約方法に記載されているメールアドレスへ、必要事項を記入してメールを送信してください。ツアーの対応言語クメール語・もしくは英語ですが、当時の資料、設計図、また写真を用いながら、わかりやすい英語で丁寧に解説してくれるため、筆者たちもきちんと理解することができました。
プノンペンの1960年代の建築を巡るツアーいかがでしょうか?とてもおススメです!
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